御神徳・御由緒

御神徳

家内安全・厄難消除・運気上昇

当社は、開拓・農耕・商売繁盛・国土鎮護の社として往古より崇敬されてきました。御祭神は神話によると剣と深く関係する神霊であり、私たちの身に知らぬ間に取りついた罪や穢れをその強い力で祓う、祓の神・厄除けの神としても信仰を集めております。

また、由緒により御祭神の神使として「うなぎ」を大切にお祀りしていることから、気運がうなぎのぼりに上昇するよう運気上昇の御神徳を授かりに御祈願される方も少なくありません。

御由緒

御由緒

これは、当社に社伝として語り伝えられている鎮座縁起です。

鎮座の初めの地は、現在の鎮座地より北北西1㎞ほどのところにある旧社地と伝えられています。境内を流れる御手洗川は、ここで宇津 間川本流から分岐し平柳の地とその下流の村々を潤して人々に豊かな生活をもたらしました。こうした御神徳を称え、旧平柳村の鎮守様と して崇敬されてきました。

御花園天皇の御代、永享2年(室町時代・西暦1430年)に現社地に再興するに当たり、旧社地を遥かに拝む形式で社殿が造営され、 家内安全、五穀豊穣、国土鎮護の神として近郷の崇敬の社となりました。

江戸時代に至り、巴波川の舟運により江戸との交易が盛んになるに伴い、当地域にも物資の積み下ろしを行う平柳河岸が設置されると、 近郷の商人をはじめ村人から、広く産業守護の神としても崇敬されるようになりました。

鎮座当時は既に神仏習合が盛んな時代であり、当社においては、明治時代に入って神仏分離がなされるまで、虚空蔵菩薩を本地仏として 併せ祀ってきたことから、「こくぞうさま」の通称でも親しまれています。また、虚空蔵菩薩の乗り馬が「うなぎ」であることから、当社 においては神仏分離後も「うなぎ」を神様のお遣いとして大切にしています。当社の神職はうなぎを食べない風習を守り伝えており、 その一端を窺い知ることができます。

明治13年、明治35年、昭和7年と、三度の大風により境内の大木が倒れ社殿を大破損壊しましたが、いずれも氏子崇敬者の奉賛を得 て再興され現在に至っております。